文系・工学系の学際・融合教育を目指して

卒業後

20期生 保田文子: 赤十字国際委員会 国際救援職員

紛争被害者の話を聞くためにランドクルーザーを走らせる

紛争の悲惨さに家族の離散がある。イスラエル占領下のパレスチナも例外ではない。

イスラエルのとある収容所。ICRCが手配したバスで、イスラエルとパレスチナの境に設置されている検問所を越えてきたパレスチナの老若男女が待つ。そこへパレスチナ人の被拘束者の男性たちが、イスラエルの収容所職員に従えられ歩いてくる。彼らの表情は、期待と不安に満ち、自分の家族を我先にと探す。見つけたとたん大きな笑みをこぼし、ガラス窓を挟んだブースに手招きする。  ようやく会えた家族たちは、ガラス越しに腰を下ろす。夫に会いに来た妻と子供たち、息子に会いに来た両親、お兄さんに会いにきた姉妹、孫に会いに来たおばあさん。ガラス越しに会話ができる受話器を片手に、もう一方の手はガラスを挟んで相手の手に合わせ、笑ったり泣いたりしながら話している。中には、二人の孫に会いに来たおばあさんが、隣合わせの二つのブースに座る孫たちと話すため、同時に二つの受話器を持ち、両耳に当てて話し込んでいる姿もある。状況を見守る私に、「息子と話して」と受話器を渡す家族もいる。45分間の面会時間は、あっという間に過ぎていく。

被拘束者が家族の訪問を受けることは、国際人道法で認められている権利である[1]。国際人道法の番人といわれるICRCは、イスラエル政府とパレスチナ自治政府を促し、パレスチナ人がイスラエルの収容所を訪問できる唯一の機会を40年以上も前から提供している。2011年には、イスラエルに収容されているパレスチナ人は8,000人以上に上り、ICRCの家族訪問プログラムをとおして年間約11万5,000人のパレスチナ人がイスラエルの収容所に拘束されている身内を訪問した。

紛争地が主な活動の舞台となるICRCの国際救援職員に至った道のりをふりかえると筑波大学での4年間は重要な通過点といえる。それまで10年間社会人をしていた私にとって、講義に出て、本を読んで、文章を書く時間は、何とも自由で楽しかった。卒論では、ネパールの山岳地帯に住む女性たちのエンパワーメントについて、それまでフィールドで得た経験を理論化することを試みた。漠然とした経験を分析概念に照らし合わせ、筋道立てて言葉にすることは、現場で起きている現象をより深く複合的に理解することに気付かされた。フィールドと理論を往復する大切さを指導教官から教わった。大学で得たこの学びは、紛争地に派遣された国際救援職員が、現地で地域の実情や人々のニーズを把握し、それに基づいて適切な活動を展開するICRCの現場主義の真髄に通じている。

[1] ジュネーブ第四条約第116条は、被拘束者に対する近親者の訪問を定めている。