文系・工学系の学際・融合教育を目指して

卒業後

14期 澤田修孝(外務省軍縮不拡散・科学部軍備管理軍縮課課長補佐)

「広く多様な世界へ」

「あなたの人生の転機はいつだったか」と尋ねられたならば,私は迷わず「筑波大学の国際総合学類に進学したとき」と答えるだろう。17年前,まだ春の訪れを感じるには早い3月の半ば,国際総合学類の後期入学試験(昨年度を以て廃止された。)を受けるため筑波大学のキャンパスに足を踏み入れた私は,自分がこの先,大学への進学を切欠に外交の世界に飛び込んでいくことになるとは夢にも思っていなかった。

高校時代、水球に明け暮れて十分な受験勉強もしなかった自分が,国際総合学類に入学することが出来たのは,直前に勉強していた範囲が試験の本番で運良く的中するという,全くの僥倖によるものだった。「国際」という言葉の響きへの憧れだけで,現実の国際関係に対する十分な理解もなく入学した自分を待ち受けていたのは,想像を超えるカルチャーショックだった。開発途上地域からの留学生,ネイティブなみに流暢な英語を話す帰国子女の同級生,海外でのNGO活動から帰ってきた上級生・・・。それまでの自分を取り巻く環境が如何に生ぬるい温室であったか,自分の周りに実際はどれほど広く多様な「世界」が広がっているのかを,生まれて初めて実感した。国際総合学類は,広く多様な世界に私を誘う扉であった。と同時に,そうした世界に身を置く己は何者なのか,何を己の信条とし,何のために生き,何を為すのか,未熟な自我への問いかけを絶えず突きつける厳しい教師でもあった。

必ずしも「『国際』らしい国際生」ではなかったと思う。学類時代に留学をすることもなく,英語も苦手だった。それでもこの学類で初めて「広く多様な世界とそこに生きる自分」を意識し,世界を相手に日本を背負って仕事がしたいと考え,外務省を卒業後のフィールドとして選んだ。

9.11が起きた翌年に中東専門家(アラビスト)として入省し,中東第一課での2年間の勤務の後,アラビア語の研修のためシリアに渡った。2年間のシリア滞在中は,隣国レバノンのハリーリ首相の暗殺を契機にシリアを取り巻く情勢が激変し,歴史のしがらみや宗教・民族・思想を背景に政治力学が複雑に錯綜する中東「世界」を垣間見る機会となった。その後米国の大学院での研修を経て,在サウジアラビア大使館で外交官として情報収集活動にあたった。イスラム教が人々の生活を律し,王族が社会の上層を占めるユニークな「世界」で,如何に彼らのネットワークに食い込み情報を得るか。学類時代に味わった,己の全人格的能力への挑戦をよりシビアな次元で経験した。

2009年に帰国してからは,潘基文国連事務総長の広島平和祈念式典への出席を企画し,リエゾンとして事務総長に同行した他,民主党政権での総理の国連総会への出席をアレンジするなど,国連とマルチ外交という新たな「世界」を経験した。そして現在は,軍備管理軍縮課という部署で核軍縮という新たな「世界」で仕事をしている。「軍縮・不拡散イニシアティブ(NPDI)」という,我が国が主導する非核兵器国グループを担当し,2014年外相会合の広島開催を実現した。

11年前,まだ見ぬ「世界」への期待を胸に外務省に入り,様々なフィールドを経験して,現在,広島出身の自分にとって国際社会への関心の原点ともいうべき核軍縮に取り組んでいる境遇を顧みるにつけ,この不思議な出会いに導いた国際総合学類こそ,自分の人生の転機であったと実感している。