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授業・カリキュラム・留学

国際総合学類4年次 寺尾侑子:フィリピン大学ディリマン校(フィリピン)

留学でなくした、得意だったこと。

わたしは、自分のことをコミュニケーション能力の高い人間だと思っていた。
 人見知りもしなければ、人前で話すこともあまり苦にならない。面接はほとんど落ちたことがなく、高校も大学も推薦入試で合格している。いわゆる、「コミュ力」が高い。それがわたしの強みだった。

でも留学を経てわたしは、コミュニケーションを取ることが得意だと言えなくなった。それでも留学に行って良かったと思っているから、ここではその話をしたいと思う。

フィリピンは英語を公用語としており、そのレベルも東南アジアでトップクラスだといわれている。実際に、多くの人が流暢に英語を話す国だ。その一方で、自分たちの言語であるフィリピノ語、更には地方によって異なるローカルの言葉をそれ以上に愛している。英語だけでも大変なのに、フィリピノ語は完全にお手上げ状態だった私は、ここで一気にコミュニケーション弱者となる。
 具体的に言うと、タクシーに乗るとぼったくりの料金を請求され、先生の話すフィリピノ語のジョークに、教室の中で一人だけ笑えない。それが、わたしだった。

資料一つだって、印刷は一苦労だ。
 フィリピン大学には、学生が自由に使えるプリンターはなく、たいていの学生は各所の印刷屋でお金を払い、レポートや資料を印刷する。例にもれずわたしも、授業の帰りに次回使う資料を印刷するのが日課となっていた。そこで働くおばちゃんと仲良くなったのは、振り返ってみると転機だったと思う。

どちらかというと、無愛想な感じでちょっと怖いおばちゃんだった。相手も英語が得意な方ではなかったため、交わす言葉は必要最低限の注文だけ。でも通い詰めるうちに、おばちゃんは外国人の私の顔を覚えていた。「どこから来たの?」という質問をきっかけに、私とおばちゃんの、たどたどしい交流が始まった。

使える武器は、フィリピノ語のクラスで習ったかんたんな会話と私自身。私の話すフィリピノ語のうち半分ぐらいは、何を言っているのかさっぱりわからない、という顔をされるのだけど、それでも話をきちんと聞いてくれるのがうれしくて、楽しかった。そして、分かろうとしてくれるから、相手のことも知りたくなって、全身で話を聞いた。身振りや顔の表情、声の高さ、言葉の行間と緩急。フィリピノ語が大半の、私とおばちゃんのおしゃべりでは、これらすべてがお互いを理解するためのヒントだ。コミュニケーションって大変だ。大変だったんだ。そう思い知った。だからこそ、通じたときは心の底からうれしかった。地元にあるスカイツリーの高さは634メートルで、日本一だということをわかってもらうことがこんなに嬉しくなる日が来るなんて、思ってもみなかった。

おばちゃんのさっぱり分からないという顔が、3割ぐらいになってきたころに私の留学は終了した。連絡先の交換もしていないし、名前も聞かなかったから多分二度と会うことはないだろう。
 それでも、いまだにふと思い返しては印刷屋のおばちゃんは元気かなと考える。

「コミュニケーション能力が高いと自慢できたわたし」の思うコミュニケーションは、どれだけ狭かったのだろう。言葉以外が発する、伝えようとする誰かのヒントを、私はきちんとみていたのだろうか。そして、一度日本語圏を離れると、しどろもどろで自分の言いたいことが言えなくなってしまう私は、コミュニケーション能力が高いといえるのだろうか。それがわからなくなったので、「コミュ力の高いわたし」をわたしは留学先においてきた。その代わり、コミュニケーションを難しいと思う、つたなくてみっともない、でも以前より、誰かに何かを伝えたいし誰かを知りたいと思うようになったわたしがここに帰ってきた。ただでさえ少ない得意なことが一つ、留学に行ったことでなくなってしまったけど、このことを知らないまま生きてきた自分より、知った自分のほうがいいと感じている。だから留学に行けて、よかったと思う。

得意なことが一つなくなった。それでも、フィリピンに行ってよかったと胸を張って言える。伝えることや知ろうとすることに、すこし誠実になれた今のわたしの方を、わたしは気に入っている。これからも、うんうんとうなりながら、伝えることや知ることと向き合って生きていきたい。コミュ力のあったわたしはもういないけれど、それでもなんだか大丈夫な気がする。あの国で得た経験を糧にして、確実にそして軽やかに、私は生きていきたい。

留学情報

留学先 フィリピン・マニラ 国立フィリピン大学ディリマン校
協定に基づく交換留学(前半は筑波大学AIMSプログラム別窓ウインドウで開きますを利用)
滞在期間 2015年7月~2016年6月
奨学金 佐藤陽国際奨学財団 短期派遣留学奨学金別窓ウインドウで開きます